鹿屋簡易裁判所 昭和41年(ろ)9号 判決 1966年8月11日
被告人 清水モイ
主文
被告人は無罪。
理由
一 本件公訴に依れば、被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四十一年二月十四日午後四時頃、普通乗用車(鹿五せ二四〇七号)を運転し垂水市市木荒崎鼻付近道路を、同市海潟方面から同市市街地方面に向け時速約四十粁で進行中、反対方向から進行して来た川田強(当十一年)が運転し、橘勉(当十一年)が荷台に乗つた自転車が、被告人の進路前方右側から左側に向け道路をななめに横断した後、側溝に沿うて進行して来るのを認め、これと離合する態勢に入つたが、かゝる場合同人等との間隔を充分に保持し、同人等の態度に応じ何時にても必要な措置がなし得るよう徐行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然速度を約十五粁に減速したのみで同人等との間隔を十分置かないで進行した過失により、自車前照灯部等を右橘勉の左大腿部等に接触せしめ側溝内に転落させ、よつて同人に対して治療日数約三ケ月を要する左大腿骨骨折等の傷害を負わせたもので、右は刑法第二百十一条前段の業務上過失傷害に該当すると言うのである。
二 証拠を取調べて見ると、<証拠省略>
の各記載に依れば、被告人が本件公訴の普通乗用自動車を運転し、本件公訴の日時場所において、公訴事実のとおり時速約四十粁にて進行中、反対方向から進行してきた川田強(当十一年)が運転し橘勉(当十一年)が荷台に乗つた足踏み自転車が被告人の進路前方右側から左側に向け斜めに道路を横断しはじめたので被告人は速度を時速十五粁位に減速して進行したが、川田は更に側溝沿いに進行して来たため、該自転車やその荷台に乗つていた橘勉の大腿部が被告人の運転する自動車の左前照燈部などと接触し、接触した後右自転車は更に進行して側溝に転落し、その事故によつて、右橘が治療日数五ケ月以上(同年六月四日当時同人は左足にギブスをはめ歩行不能)を要する左大腿骨骨折等の傷害を負うた事実を認めることができる。
三 そこで右橘勉の負傷は被告人の業務上の過失によるものであるか否を検討する。
(1) 被告人の当公廷における
一、私は自動車を運転して時速四十粁にて進行中、前方四、五十米の道路右側端を少年五名位が三台の自転車に分乗して、うろうろとゆつくり対向して来るのを認めた。その内二人乗りの自転車(川田強が運転し、荷台に橘勉同乗)一台が急に道路中央に斜に向つて進行し始めた。その時は私の車と三十米位の距離があつた。私は直ちに速度を十五粁位に減速し、徐行態勢に入つたが、その二人乗りの自転車は道路を斜に横断して私から見て左側に寄つたので、そこに止まるだろうと思つたところ、予期に反してその自転車は側溝に沿うて私の方に向つて進行し始めた。その時の私との距離は六米位(検証現場での指示によると九・五米位)に接近していたので、私は車のハンドルを右に切り徐行すれば車の後部が左に振れてかえつて大きな事故になると考えたので、直ちに停車したところ、その自転車は私の車の左側をガリガリこするようにして通過するのを私は運転席から窓越しに見送つたが、自転車は私の車の後尾から少し離れた側溝に落ちた。
一、川田強の自転車が横断した所で止まつたとすれば、私は最徐行していたから右にハンドルを切りこれを避けて通過する充分の余裕があつた。
一、川田強が側溝沿いに対向し始めたときは、ハンドルを右に切る余裕はなく、停車する以外に方法はないと思つたので停車した。
一、仮りにハンドルを右に切つて避けたとすれば、急にハンドルを右に切らねばならず、そうすると現場は交通頻繁な所であるから他の車の進行を妨げ二重衝突したり、又私の車の後部を左に振るので、後部に川田の自転車が衝突することになり、かえつて危険が多かつたと思う。
旨の供述、
前記(5) の被告人の供述調書中
一、危いと思つてすぐ徐行して停車していると、自転車乗りは自分から飛込んで来て、私の車の後方の下水溝に倒れた。
旨の供述記載
前記(3) 証人橘勉の証人尋問調書中
一、道路を斜横断して側溝の側迄行き、それから溝に沿うて十米位行つたとき衝突した。
一、自転車の早さは一生懸命走る程ではなかつた。旨の証言
前記(4) 証人川田強の証人尋問調書中
一、道路を斜右に横断して溝に沿つて進行したところ、横断したところから七・八米の所で衝突した。
一、衝突してから直ぐには倒れず、自動車の脇を少し進んだように思う。
一、私の自転車は歩くよりは早い速度でした。
旨の証言
前記(10)証人浮原広志の証人尋問調書中
一、私達は道路の左側を自転車で進んでいた。私は二番目川田君は三番目であつた。川田君が道路を右斜に横断して行つたが、溝のそば迄行つたとき、前方から来た自動車との距離は九米位あつた。自動車はブレーキをかけて来た。
一、私は危いと叫んだ。川田君はよろよろと溝に沿うて行つた。
一、衝突する瞬間は見ていなかつたが、私が先に行くとガチャンという音がしたのですぐ後を見たところ、自動車は止つており、川田の自転車は自動車の後の方の溝に落ちていた。
一、自動車は最初私が気についたときからスピードはあまり出していなかつた。ペタルを適当に踏んで自転車で追いつく位の早さであつた。
旨の証言、
前記(11)証人北迫睦男の証人尋問調書中
一、私達は道路の左側端を進んで行つた、私は一番後、川田君は後から二番目であつた。
一、川田は道路を斜右側に行つて、それから少し先に進んだとき自動車につきあたりました。
一、川田が道路を渡り切つてから溝のそばを二、三米行つてからつき当つた。
一、その時の自動車の速度はゆつくりでした。
一、つき当つてから川田は一米余り進んだと思う。そして直ぐ倒れた。自動車も少し進んだかも知れぬ一、二米位は。
一、私は衝突の際は二十米位後方から見ていた。
旨の証言
前記(7) の検証調書、同付属見取図の記載
前記(2) 実況見分調書及付属見取図の記載中
一、被告人の自動車が停車した位置と、衝突した位置とは同一場所であり、川田は自動車の後方に通り抜けたところに倒れた位置が記載されており、又スリップ痕のない旨の記載
一、停車した自動車と側溝との間は約一米の間隔があることの記載
を綜合して考えると、本件事故は、川田強が道路を同人から見て右側へ斜前方に横断し、前方に被告人の自動車が対向して来るのを見ながら、自転車のブレーキは正常に利くのに停車することをせずに進行して行き、被告人が危険を感じて停車した直後に、川田の自転車荷台の左肩の部分と荷台に跨つて乗つていた橘勉の左大腿部が、自動車の左前照燈部に衝突し、同時に自転車の左ペタルは自動車の左前車輪フエンダーに接触し、これと同時に自転車の左ハンドル(或は左ブレーキバー)曲りの先端が、自動車の左バックミラーの内側背面に引つかゝるように触れて、(ハンドルをふらつかせたためと思われる)自転車の転倒を瞬間的に引止めたため、川田は衝突時の転倒を免れ、自動車の左側約一米の余地の部分を自動車を擦るようにして進行したが、遂に安定を失つて側溝に転落したものと認められる。
ところで川田強が斜横断して側溝沿いに進行を始めた地点と、その時点における被告人の自動車の位置との距離に関しては、
(イ) 証人橘勉の証言では、「横断してから溝脇を十米位行きました」とあり、
(ロ) 証人川田強の検証現場での指示によると、横断してから側溝沿いに七米八十糎進行して衝突した、とあり、
(ハ) 被告人の検察官に対する供述調書では、自転車は私と四米乃至五米の地点から私の自動車と側溝との間に突込むかの様に進行して来た、とあり、
(ニ) 被告人の第一回公判における供述では、自転車が側溝に沿つて進行し始めたとき私の車は六米位に接近していた、とあり、
(ホ) 被告人の検証現場における指示では、川田が横断してから側溝沿いに進行を始めた地点と、被告人が危いと思つて停車した地点とは九、五米ある。
(ヘ) 証人浮原広志の証言では「川田が溝のそば迄行つたとき、前方から来た自動車との距離は九米位あつた」とあり、(尤も、五、六米というので、その距離を実地に指示させて検尺したところ九米あつた)。
(ト) 証人北迫睦男の証言では「川田が道路を渡り切つたとき自動車との距離は五、六米位あつた」とある。
而して以上の各距離は現地の地物に目標となるものがある訳ではなく、夫々供述者が各自の不確実な目測の記憶に基き、概略の見当を述べるものであつて、果して現実には幾許の距離があつたものか確認する方法はないのであるが、前記各距離に関する指示や供述を綜合して考えると、川田が横断を終り側溝沿いに進行を始めた地点と、その時点における被告人の自動車の位置との距離は、長くても十米か十一米程度以内であつたものと推認するのを相当とする。右のとおりその距離が約十一米あつた場合、既に徐行に入つていた被告人が自動車運転者としてとるべき措置は二つの方法しかない。即ちその一つは急に右方にハンドルを切り避譲するか、今一つはその場に停車するかである。(右推定距離が十一米でなく、十米あるいは九米と短距離の場合は尚更である)現場は自動車等の交通量の多いところであるから、右方道路中央側に避譲するには特に後方確認をしなければならず、後方確認は、前方や左右の確認よりも時間を要するので、後方を確認して前方注視に帰る迄少くとも一・五秒か二秒の時間を要するものと思われるが、その間には緩速とは言え、双方の車は被告人が危いと思う瞬間も接近しつゝあるのであり、仮りに十五粁の速度であつたとすれば、一秒間に約四米、これに小走り程度と思われる川田の進行距離を加えると、両者の距離は約一米に接近することになる。此の距離に接近してから被告人が右方へ転進しても衝突は免れないと思われる。そこで川田との衝突を避けるために右方へ避譲するには後方確認もしないで急に右方に転進するより外はない。そうすると既に徐行していた被告人の車に近接しつゝある追尾車、或は対向車等の進路を妨げ、これらと二重衝突の危険があるばかりか、前方に自動車を見ながらその前を斜横断するような無謀な操縦をする川田が、被告人の車と接近して危険を感じ、突嗟に被告人と同じく道路中央側に転進するおそれなしとしない。よつてかような切迫した場合、被告人としては道路中央側に転進する措置をとることは適切でなく、衝突を避けるため停車するの外方法はないのである。
而して前記(11)証人北迫の尋問調書に依れば、「川田は道路を右に渡り切つてから溝のそばを二、三米行つてから突き当つた」との証言があるが、前記(4) 証人川田の尋問調書では「横断したところから七・八米進んで衝突した」旨の証言があり、右二個の証言中証人北迫の証言は約二十米後方から見た感じで述べるところであるので、証人川田の証言のとおり七・八米進んでから衝突したとの証言に信憑性があると思われる。よつて、約十一米の距離の内、川田強の自転車が進行した距離が、川田の指示どおり、七・八米とすれば、被告人の自動車が同人が危いと思つてから停車する迄に進行した距離は三、四米(一秒行程に足らず)に過ぎないのである。此の事実は、被告人が川田の斜横断を認め直ちに徐行に移り、次第に最徐行に入つて居て、川田の対向進行を認め危険を感じ直ちに急停車の措置をとつたことを認めるに充分であつて、右被吾人のとつた措置は自動車運転者として為すべき注意義務を充分果したものというべく、被告人に過失があつたことを認めるに足る証明はない。
以上検討したとおり本件事故は川田強が道路を斜右に横断してから自転車を止めて待避すべきにかかわらず、停止しないで、前方自動車と側溝との約一米巾の余地の部分を強引に通過しようとしたかのように見える無謀な行為によつて引き起されたものである。
尚証人川田の証言、証人北迫の証言に依れば衝突後自動車も一米余進行したかも知れぬ旨、即ち衝突してから停車した趣旨の証言があるが、証人浮原の証言では、(同人は″危い″と叫んで進行した)「音がしたので直ぐ振返つて見たら自動車は停車していた」と述べるところであり、衝突と同時に停車したか、或は被告人の自動車が現実に停車する何分の一秒か前に衝突したのではないかとの疑を容れる余地がないではないが、仮りにそうであつたとしても、右に距離、速度などの点から検討したとおり、被告人のとつた措置は適切と言うべく、本件の場合これ以上の注意義務を被告人に期待することは不可能と言うべきである。
なお又、被告人の検察官に対する三月八日付供述調書に依ると「自転車の方でよけて呉れるだろうとばかり考えて私の方で停車せず前進したのが悪かつたと思う」旨の供述記載があるが右供述部分は他の証拠と対比して考えるときたやすく信用できない。
よつて本件公訴事実は犯罪の証明が充分でないから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り無罪の言渡を為すべきものと認め主文のとおり判決する。
(裁判官 永田武義)